音を聴くということ

 

 医学的物理的な話は私が書く必要は無いと思う。只、面白い話として、人間が死ぬときに最後まで使っている感覚器官が聴覚。もう一つ、眠っているときにも使用可能な感覚器官も聴覚である事。(目覚まし時計が使えるから皆知ってますよね) 実は根本的な感覚で簡単では無い様だ。爬虫類が四原色で世界を見ているのを聞いたことがあると思う。彼らの目は哺乳類の目よりも多くの情報を得ることができる。(最近、人間も4番目の色を感じる人が出てきています 四番目の色はオレンジだそうです) 哺乳類でRGBなのは以外に少なく霊長類と、他はそれほど居ない。     (猫はRGBだそうです) この違いは恐竜の時代に哺乳類が、夜活動したからと言われている。(当時からあまり変わらないネズミは白黒です) だから、大抵の哺乳類は立派な耳を持っている。人間も哺乳類なので、耳の性能は保障されていると考えて良いと思われる。

 にもかかわらず、なんで音が良いとか悪いとか論争になるのか。私は、性能をフルに発揮できない理由は雑念にあると思っている。知識が邪魔をして、ありのままの音を聞けないのだ。入力として入ってきた信号に意味づけをする際に知識と照合する。意味づけがなされないと、音楽を認識できない。好い音かの判断にも知識を使用する。つまり、知識で変形した音を聞いている事になる。
装置に問題があるのではなく、自分に問題があるのだ。 さて、事態は絶望的な方向に向かってきた。(ちょっと遊びました)

 

 知識として覚えたものを、完全に消去することはできない事を皆知っている。消去できないなら、他の方法は無いだろうか。ひとつ思いつくのは飲むと音が良くなる薬

 

 

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