何故アートなのか

QRPなどと言っていた時に気がつくべきだったのか。
田村はついに壊れたか?



2004年の6月だったと思う。当時、私は悩んでいた。アンプ作りも徐々にネタが無くなり、次に何をすべきか考えていた。只、漠然と「静かな茶室でQRP」と考えていた。
その事を友人に相談するとある芸術家を紹介された。
中島太意さん、立体作家と名乗っているが絵描きでもあるし、茶人でもある。
早速QRPアンプと小型SPを抱え会いに行った。当時、事務所は原宿にあった。
「原宿か」秋葉は詳しいが、原宿は未知である。「どうもこの街は肌に合わん」などと考えながら事務所を目指した。
中島さんは飄々とした人で、たぶん訳が解らない私のオーディオの話を熱心に聞いてくれ、その後で「今年の秋にアートイベントをやるが参加しないか?」と誘ってくれた。
私はここに解があると思い「ハイ参加します」となった。
「人生いろいろ下心」(当時のサイト 以降下心)なんとも怪しいネーミングである。



その秋の「下心」で、私は念仏の様に唱えていた「静かな茶室でQRP」を実現した。そして私はいつの間にか芸術家の仲間入りをした。(あらまあびっくり)
そして、2004年以降も「下心」のメンバーとして在籍している。



私の根本は技術屋(横文字のエンジニアと少し違うかも)で、何かを生み出す人だ。
一見、アートと最も遠くにいるようであるが、実はそうではない。かつて、絵画は最新技術であったように、今、私がやっている技術なるものも、やがて一つの表現手段になりアートに取り込まれていく日が来ると思う。私たち技術者はそうした新しいアート(表現手段)の最先端に居ると考えることはできないだろうか。写真はわずか200年かからずに成熟した表現手段となったように、ハードウエアやソフトウエアも表現手段となり得る日が来るだろう。



やっぱり、田村は壊れたか。

2007/08/19